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出町ゆずるが譲れない

3つのチェンジ

出町ゆずるが譲れない

3つのチェンジ

市議会議員になって3年余り。
「なれ合い」「しがらみ」の政治を目の当たりにしました。
高岡市が沈滞している原因となっているのです。
「密室政治」と決別し、透明性のある政治に変えなければなりません。
日本、いや世界が大きく変わる中、高岡市だけが取り残されるわけにはいきません。
「チェンジ高岡」です。


どのように高岡を変えていくのか。私は3つの方向を示したいと思っています。
「もっと優しく」、「もっと美しく」、「もっと強く」です。3つのチェンジを実現します。

01

もっと優しく

子育てに優しいまちを目指します。

男性の育休の取得率アップを奨励します。
不妊治療などへの支援を強化。出生者数アップを目指します。
1人親の子育てを支援します。結婚支援も拡充します。
一方、公共交通。「公設民営」のコミュニティバスを創設。
市内全域で公共交通網を充実させます。
どこに住んでいても、安心して暮らせるようにします。
孤独死ゼロを目指し、「優しい高岡」を目指します。

02

もっと美しく

高岡を代表する古城公園は、木が生い茂り、ジャングルのようです。
カラスの糞もいたるところにあります。
樹木の伐採をスピードアップするため、予算を増やす必要があります。
また、カラス退治も急務です。
高岡を変える第一歩は、「美しい高岡」の実現です。

瑞龍寺や勝興寺の2つの国宝。
山町、金屋、吉久と重伝建があります。
先人たちが築いた歴史、文化に磨きをかけて、全国、いや全世界から観光客を呼び込みます。

03

もっと強く

高岡市の最大の課題は人口減少。

基礎体力が弱っているのです。
そこで、住みやすい高岡をアピールし、U、Iターンや移住政策に、力を入れます。
とりわけ、若者や女性の獲得に力を入れ、「強い高岡」を目指します。
奨学金の免除制度などを導入。
また、コロナ禍をきっかけに拡大しているのは「転職なき移住」。
その受け皿になりたます。
また、空き店舗などに、IT企業などを誘致したいです。

政策理念動画

1.脱しがらみ・脱なれあい

2.いきいきした高岡

3.人口減少社会に向けて

全編

① 空き校舎問題

ナゼ、住民説明会を開かないのか。
旧平米小学校の空き校舎の活用について、高岡市は私の質問に「住民の皆さまに丁寧な説明をする」と繰り返し答弁してきましたが、多くの住民が参加した住民説明会を開かず、突然、方向を示しました。高岡市内で10の空き校舎ができます。これらも同じように、住民に説明なく、密室で決めるのか。議会で監視していきます。

② 高岡市民病院の産科休止問題

ナゼ、市民や議会、県に報告しないのか。
令和5年5月末に高岡市は突然、高岡市民病院の産科の休止を発表しました。富山大学が医師の派遣打ち切りを連絡したためです。議会で分かったのは、高岡市民病院ではすでに3月上旬に、情報をつかんでいたことです。それなのに、県にも、市民にも議会にも報告していません。市民不在の高岡市の体質が浮き彫りになりました。

③ 古城公園の整備

ナゼ、計画期間は30年もかかるのか。
高岡市では令和5年度、予算計上し、樹木の伐採などを行っています。問題はその計画期間です。この計画の期間は実に30年。コロナも落ち着き、観光客を受け入れる絶好のチャンスなのに、期間が長すぎます。高岡市はクラウドファンディングなどで計画を前倒しする予定ですが、そもそも予算自体を増やすべきです。

④ カラス対策

ナゼ、繁殖期に捕獲しないのか。
高岡大仏や古城公園周辺はカラスの糞まみれ。高岡市はカラス捕獲用の檻を1基増設するなど対策を強化しました。しかし、肝心の繁殖期、3月から5月までは捕獲業務を行っていないことが私の質問で分かりました。その後、何度も委員会などで空白期間をなくすよう提言。令和6年度から、通年で捕獲業務を行うことになりました。

⑤ 公共交通の強化

ナゼ、財政が健全化したのに、コミュニティバスは復活しないのか
高岡市では財源不足問題が発覚。コミュニティバスが廃止となりました。財政健全化に取り組んでいるのですが、1年前倒しで達成しました。高岡市では、コミュニティバスの再開を検討せず、今まで通り、路線バスの赤字を補てんや一部地域の乗り合いタクシーで十分というスタンスです。私は新たな形でコミュニティバスの復活を目指します。

「出町ゆずる」のプロフィール

高岡市議会議員・会派「高岡愛」会長・定塚町1丁目自治会長

1964年富山県高岡市生まれ。
成美小、志貴野中、高岡高、早稲田大学政経学部卒業。
90年時事通信社入社。経済部、ニューヨーク特派員。
アメリカ大統領選やウォール街などを取材。

2001年テレビ朝日入社。
経済部で、日銀、内閣府、経団連などを担当。
その後、報道ステーションのニュースデスクとなり、
経済や政治報道の陣頭指揮を執る。

2011年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。
「清貧と復興、土光敏夫100の言葉」(文藝春秋)は
ベストセラーに。その後も次々に出版している。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。
8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に
高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。
同年11月 新会派「高岡愛」を結成

「出町ゆずる」の著書

現場発! ニッポン再興  

YKK の流儀 世界のトップランナーであり続けるために

日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡

景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治  

九転十起 事業の鬼・浅野総一郎

清貧と復興 土光敏夫100の言葉

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