原爆投下機、反転説?・・・歴史を風化しない

きょうは、広島の原爆の日です。

黙とうしました。

広島の原爆の犠牲者は14万人。なぜこんなに多くの人が犠牲になったのか。

原爆の威力も影響していますが、本当にそれだけなのか。

私はテレビ局時代に検証しました。

8時15分に広島に原爆が投下されたのですが、

その40分前に警戒・空襲警報が解除されていました。

人々は日常生活にもどっていたのです。

私は報道ステーションにいたとき、驚くべき仮説を知りました。

原爆を搭載していたのは、B29、通称エノラ・ゲイですが、エノラ・ゲイが一度、広島上空を通り過ぎ、警戒警報が解除された後、

反転して戻ってきた可能性があるというのです。そのため、広島上空を過ぎた段階で、空襲警報を解除。

人々を油断させたというのです。

専門家は「防空壕にいれば、多くの人の命は救えたはず」と指摘しています。

 

さっそく、2009年に、広島やアメリカ取材をディレクターに指示、報道ステーションでオンエアしました。

当時、敵機の様子を監視していた99歳の男性は、広島市の北東60キロのところで、エノラ・ゲイの3機を発見しましたが、急に向きを変えたと証言しています。

我々の取材班は88歳だったエノラ・ゲイの乗組員だったヴァン・カーク氏にも取材しました。

Uターンすることはなかったとし、反転した仮説を否定しました。

彼は日誌のコピーを見せてくれました。そこには、時間毎に細かく緯度や経度が書かれていたのですが、

直前の日誌が空白だったのです。

7時40分に四国地方とみられる位置から8時12分、広島市の東へとたどり着いたとみられるまでの32分間です。

それに対しては、「窓から外を見ていた」と語っています。

その上で、エノラゲイの飛行ルートを問いただすと、

「物事については諸説がある。一部は真実だし、真実でない情報も紛れ込んでいる。実際に何が起こったのか詳細な事実を発見しようとしているのなら、

それは決して見つけられない」と述べました。

答になっていませんが、含みを持たせる発言です。

このヴァン・カーク氏も2014年に93歳で亡くなりました。

本当に反転したのかどうか。結局、わかりません。

 

私はテレビ局時代、毎年、戦争モノを続けていました。

視聴率が取れないという批判もありましたが、

とにかく、歴史を風化してはいけないと思ったからです。

その思いは、政治家になった今も変わっていません。