空き校舎で「民主主義」を考える

私は3月13日に開かれた高岡市議会3月定例会で空き校舎の問題を取り上げました。この問題について、この1年間、私は繰り返し、質問してきました。

その理由は、空き校舎をどのようにするのか。それは民主主義の根幹にかかわるからです。

私は大学で政治学を専攻し、「地方自治は民主主義の学校」と学びました。地方自治は住民の意見を反映させやすく、民主主義の理想とする政治体制に近いのです。

空き校舎問題で住民と話し合うのは、民主主義の学校を試す格好の機会なのです。しかし、これまでの議論をみる限り、高岡市では、「民主主義の学校」が「学級崩壊」ならぬ、「学校崩壊」の危機に見舞われていると感じます。

旧平米小学校が閉校してまもなく1年です。放置されていた空き校舎問題ですが、今年に入って急展開しました。

比較的新しい校舎部分について、教育委員会は、不登校などを支援する「教育センター」を移転し、教育拠点にする案を、平米地区の自治会関係者7人に説明しました。

不登校の人や外国人児童や生徒の支援を行う教育拠点にするそうです。出席者によれば、市当局は決定事項ではなく、計画案として説明したそうです。
その後、今月7日に開かれた高岡市議会3月定例会の代表質問で、教育委員会は旧平米小学校の空き校舎について、「教育センター」を移転し、教育拠点にする考えを示しました。新聞やテレビは、「旧平米小、教育拠点に」と大きく報じました。既成事実となったのです。

私は教育センター移転案を否定するつもりはありません。不登校の子どもたちの教育は大切です。また、増加している外国人の児童・生徒を支援するのも極めて重要です。

しかし、民主主義にはプロセスが大事だと思うのです。地域住民の声を聞くことが最優先されるべきです。実際、空き校舎方針について教育長は、住民の意向を丁寧にお聞きするとおっしゃっていました。

それなのに、高岡市では住民の意見を聞く機会を設けず、急きょ、教育センターの移転案を提示されました。

それは住民にとっては「申し渡し」に映ります。旧平米小学校の空き校舎については、住民の中では、さまざまな活用法が議論されていました。