長崎原爆の日に思う「もうひとつの原爆ドーム」
長崎の原爆の日です。
広島では原爆ドームが残っていますが、実は長崎にも「もうひとつの原爆ドーム」がありました。
私は2018年8月、池上彰さんと一緒に、ニュース解説を担当していた際、紹介しました。
それは、浦上天主堂です。東洋一の規模の大聖堂でしたが、被爆して赤レンガだけが残ったのです。
原爆の悲惨さを伝える象徴として、当時の市長は、残すべきだと主張していました。
しかし、1956年、方針が大きく転換しました。
その市長が訪米し、セントポール市と姉妹都市を提携したのがきっかけです。
被爆から13年後に壊されました。
この姉妹都市の提携を持ち掛けたのが、アメリカのアイゼンハワー大統領の友人でした。
アメリカ政府は浦上天主堂を撤去してほしかったなどの記録は残っていませんが、
消し去りたい過去であったことは間違いないのです。
アメリカ軍は当初長崎の市街地を狙ったが、天候が悪く浦上天主堂の近くに原爆を投下、多数のキリスト教徒が死亡したのです。
キリスト教徒の多いアメリカにとってこれは大きな失態でした。
詳しいことは、長崎生まれのジャーナリスト、高瀬毅さんが執筆した、ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」に書かれています。