「鈴木貫太郎」を最も尊敬する理由
こんばんは。
私はよく最も尊敬する政治家は誰と聞かれ、
鈴木貫太郎ですと答えています。
ぽかんとする人も多いのですが、
私がどうして貫太郎を好きなのか。貫太郎は派手さは全くありません。
しかも、総理就任の際には77歳。若い政治家がいいという人にとってはまさに「じいさん」です。
耳も遠かったと言います。
でも、歴史上もっとも難しい決断を実行しました。
まさに命がけの終戦です。
しかもスピード感を持っていました。
就任4カ月間で実現したのです。
自らは命を脅される危険にさらされながらも、数千万人の命を救いたい。それが貫太郎の目的です。
就任当初は、その目的実現のために、陸軍を暴走させない発言を繰り返しました。
まさに目的達成のためのリアリストだったのです。私は高岡でも大きな目的を掲げながら、現実的に動く政治家になりたいと思います。
鈴木貫太郎の人生を勉強するのは、市議会議員の私にとっても、ためになりますね。
鈴木貫太郎は、どうして終戦直前に総理に就任したのでしょうか。
そもそものきっかけは、昭和20年3月10日未明の東京大空襲です。B29がマリアナ基地から飛び立ち、超低空飛行で、東京の下町に焼夷弾を落としました。
東京の3分の1以上の面積が焼失し、10万人が死亡したといわれています。
日本政府内でも、これ以上戦争を続けることができないという見方が増えました。
戦争をやめるには、決断力が必要です。
小磯総理では困難とみられ、後継探しが始まりました。
白羽の矢が立ったのは、鈴木貫太郎です。しかし、問題は本人が引き受けるかどうかでした。
鈴木貫太郎は政治嫌いで知られ、権謀術数や裏取引などは大嫌いなのです。しかも、77歳という高齢です。
小磯総理は4月5日退陣しました。この日の午後5時から重臣会議が開かれました。重臣4人は一致して、正式に鈴木を推戴したのです。
鈴木は改めて「軍人が、政治に関与してはいけない」という信念があるといって、断りましたが、
昭和天皇は午後10時過ぎに、宮中御学問所に呼び出されました。
昭和天皇は「鈴木の心境は、よく分かる。しかし、この重大なときに当たって、もうほかにひとはいない。頼むから承知してもらいない」とおっしゃったのです。
鈴木貫太郎内閣がスタートしました。
私が貫太郎の人間性を知るうえで、印象深いのは、総理就任直後の4月11日のエピソードです。
アメリカのルーズベルト大統領が急死しました。ルーズベルトといえば、敵国の大将です。それなのに鈴木はこんな発言をするのです。
「今日の戦争において、アメリカが優勢であるのは、ルーズベルト大統領の指導力がきわめてすぐれているからです。その偉大な大統領を今日失ったのですから、アメリカ国民にとっては、
非常な悲しみであり、痛手でしょう」。
鈴木の哀悼の言葉が通信社を通じて、全世界を駆け巡ったのです。
人間として敵味方の次元を超えて、人の死を悲しんだ発言です。これに対し、敗北寸前だったドイツのヒトラー総統はルーズベルト大統領の死について、
「愚かな大統領として、歴史に残るだろう」との声明を出しました。世界では、ナチス・ドイツと比較して鈴木貫太郎の言葉に感動が広がりました。
私は、こんな鈴木を産んだニッポンに誇りを持ちたい。
鈴木貫太郎さん、ありがとうございます。
今生きる我々はそれぞれ頑張ります。