「ずっと友達でいようね」翔龍物語②
「翔龍」のマスター、浅野さんと出会ったのは、2021年の春です。市長選の時に、ラーメン店の近くの街頭演説をしていると、ホタテと缶コーヒーを差し入れしてくれました。「高岡を変えるために、当選してもらいたい」。その後も、私の集会に頻繁に出席なさっています。閉鎖的な街をどのようにして活気づけるか。浅野さんは必死に考えていました。
「市長選で負けたら、出町さんはもう東京に帰ると思っていた。残ってくれて嬉しいよ。いい町にしたいよね」。
2人で食事をしながら、高岡の未来について語りました。「ずっと友達でいようね」。そう語り合いました。
私は38年ぶりに帰郷し、市長選に出馬しましたが、よそ者扱いでした。結果は落選です。
そんな中、浅野さんの温かい想いは胸に染みました。
その後、私は市議会議員選挙に当選。市議として、市民とのミニ集会を頻繁に開いていますが、浅野さんはしばしば姿を見せ、
高岡市の現状に対して危機感を抱いていました。
また、87歳の私の母についても親しくしていただき、母を食事に連れて行ってくれたりしました。
ある意味、家族ぐるみのお付き合いだったのです。
母は浅野さんの生き方と姿にほれ込み、「こんなすごい人に会ったことはない」。
母曰く、「マスターは『老人と海』の老人みたい」。「老人と海」とはヘミングウェイの代表作。
確かに浅野さんは、映画版に出ている主人公に似ています。
浅野さんは北海道猿払村出身です。ホタテで有名な村。“貧しい村”だったのですが、当時の村長らの手腕で“富める村”になりました。「猿払村の奇跡」と言われています。そこで生まれ育ち、お父さんは漁業をやっていました。奥さんと知り合い、高岡に来ました。
30年ほど前に始めたラーメン店。店をどんどん大きくし、現在は巨大な店舗です。1日1000食ほどの売り上げを出す、人気ラーメン店です。
「自分は、高岡では『よそ者』。いろいろ苦労もしたけど、自分を育ててくれた高岡に恩返しをしたい」。そんな話を何度も聞きました。