「死去」で思う安倍さんの胆力、見習うぞ

安倍総理が凶弾に倒れ、亡くなりました。

大きな衝撃です。ご冥福をお祈りします。

 

先ほども書きましたが、私は安倍元総理とはそれほど接点はありませんでした。

ただ、報道マンとしては、安倍さんと長く向き合っていました。

 

私は、2007年秋に安倍総理が退陣する直前に、報道ステーションのニュースデスクとなりました。

テレビでは、連日政治や経済のニュースが主流でした。

私は、ニュース番組の陣頭指揮を執っていました。

当時、安倍さんは夏の参院選で敗北。当初は続投の意欲を見せていましたが、

突然、辞任表明しました。

報道ステーションを含めて日本のメディアはこぞって、安倍批判を展開しました。

「政権を投げ出した」という論調でした。

「安倍総理は政治生命は終わった」という見方が支配的でした。

次の総選挙では出馬しても、当選は困難という声が多くありました。

安倍さんは政治的に死んだのです。

 

しかし、退陣後に冷静なスタンスをとっていたメディアもありました。

月刊文藝春秋です。

「わが告白 総理辞任の真相」という安倍元総理の独占手記を

掲載したのです。突然の発病がいかに深刻だったかを安倍さん本人が素直に語っています。

この独占手記を手掛けたのは、私の盟友、文藝春秋の新谷学くんです。

そうです。あの文春砲の総指揮官です。

安倍さん本人を説得し、独占手記という形で世に問うたのです。

安倍さんは地元ではこの雑誌をコピーし、一軒一軒回ったと言います。

この手記が安倍さん復活の原動力になったそうです。

 

その後、2012年に安倍さんは自民党総裁選挙で勝利。

総理大臣に復帰しました。

民主党政権に終止符を打ち、長期政権を実現したのは、皆さんご存じの通りです。

それからはとにかく、大きな政策を次々に打ち出しました。

日銀のお尻を叩いて、金融緩和を実施。

さらに、特定機密保護法も押し切りました。

「安倍一強」と言われ、霞が関から怖れられました。

 

私自身、安倍さんの政治にすべて賛成しているわけではありません。

森友・加計問題などで。

テレビのコメンテーターとして批判したこともあります。

しかし、私自身、政治家となって、半年。

今、安倍さんに関して、実感しているのは、

反対の声を怖れない胆力です。

私自身、高岡で政治をやるにあたり、胆力をつけたいと思っています。

 

 

 

 

 

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