「真宗王国」の勝興寺と地域住民

 

やはり先週大ニュースは、「勝興寺の国宝指定」です。

高岡市民の間では、久々のビッグニュースですね。

先日の市議会の総務文教委員会では、教育長など市の当局者も

議員も笑顔で嬉しそうでした。市民の間ででもこのニュースに湧きかえりました。

 

きのう勝興寺までランニングで行きました。

門前で交通整理をしていた人は、地元の人で、満面の笑みを浮かべていました。

「勝興寺は地元の人が大切にしています。交通整理も順番で回しています。

地元の人が草むしりをしたりしていているのです」。

勝興寺は「ふるこはん」との愛称があり、

地元が大事にしている地域住民の寺なのです。

 

歴史的にも勝興寺は、民衆に寄り添った民衆の寺です。、

勝興寺は浄土真宗本願寺派。「お西さん」と言われる西本願寺の系統です。

本山が西本願寺であり、「真宗王国」富山の中核の寺です。

「真宗王国」というのは、

とにかく富山では浄土真宗の人が多いのです。

その立役者は、8代目蓮如上人です。

浄土真宗は、親鸞が開いたのですが、一気に全国に広まったのは、蓮如の時代です。

蓮如が親鸞の教えを全国に広め、特に越中,

富山では力を入れました。

その蓮如が南砺市に開いた寺院が前身です。

その後、移転して今の伏木の地に至りました。

戦国時代には「一向一揆」の拠点となりました。

農民や商売人ら民衆がは権力に立ち向かう。

時には織田信長すらも怖れた存在だったのです・

勝興寺は民衆に大きな影響力を持ちました。

江戸時代には、加賀前田藩の支援を受けました。

 

歴史を調べると。勝興寺はずっと民衆、住民に寄り添ってきたのです。

高岡は重層な歴史があります。

さらに歴史の勉強に磨きをかけ、未来を見通す力を持ちたいですね。

 

11日、行財政特別委員会、

12日、大手町の側溝の件で、土木維持課。高齢福祉課、子ども・子育て課、公共交通・港湾特別委員会

13日、総務文教委員会、会派説明、

14日、辻たち、オタヤ子ども食堂の人と打ち合わせ、大仏で打ち合わせ

15日、勝興寺までランニング、高陵中学の学園祭

16日、定塚公民館の文化祭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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