「高岡の学習院」歴史から学ぶ

 

日曜日は、2つの小学校の閉校式に行きました。

平米小学校と定塚小学校です。

いわば街中の小学校。

新しく統合されて、高陵小学校になります。

衝撃的だったのは、「高岡の学習院」とも呼ばれた平米小学校の児童数の推移です。

昭和32年度には、児童が1448人いました。

このころ、日本経済は、神武景気のさ中。高度経済成長に突入する入り口です。

政府は経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言しました。

こんな時代を背景に、高岡は商都として名を上げ、その中でも

牽引車となったのは、平米小学校区なのです。

山町筋には、問屋が多くあり、高岡の経済力の象徴だったからです。

お金持ちが多く住み、「高岡の学習院」と呼ばれました。

また、銀行も多く、「高岡のウォール街」という言葉もありました。

私が小学生だった高度成長期も、平米は輝いていました。

 

ところが、状況は一変しました。

令和3年度の児童数は103人です。

実に14分の1です。人口減少がとりわけ、中心市街地で深刻な影響を及ぼしたのです。

こうしてみると、統合は避けられなかったのです。

 

学校の沿革を見て、また驚きました。

平成23年プール改修工事完成、24年おおとり歴史館完成、

25年校舎耐震補強完成、26年体育館補強工事完成、

令和元年普通教室棟エアコン設置、令和2年普通教室、特別教室大型テレビ配置、

一人一台学習運用端末配置、GIGAスクール運用開始。

 

最近になって、「耐震、エアコン、通信機器」という3点セットを中心に整備。

施設が急ピッチで充実しているのです。

教育委員会は、東日本大震災、夏場の異常気象、一人一台タブレットといった

時代背景があったからだとしています。

もちろん、その理由は否定できません。

 

しかし、俯瞰してみた場合、平米小学校の人口減はかなり以前から深刻でした。

いやもっと早く、統合していれば、巨額の税金を投じる必要なかったのです。

先送りは、事態を悪化させるのです。

 

過去を嘆いても、仕方ありません。

でも過去や歴史から学び取ることも大事だと思います。

それが未来のための教訓になります。

さて差し迫っているのは、あと2日で閉校する平米小学校の跡地問題です。

利活用するにも、取り壊すにも早急な対応が必要だと思っています。

放置しておけば、それが税金の支出に直結します。

文部科学省は、空き校舎になった時点での利活用を

求めています。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ」

ビスマルクの言葉を肝に銘じたい。

 

最近の動きを紹介します。

 

24日、後援会の打ち合わせ、土地開発公社の理事会

 

25日、代表者会議、本会議、広報公聴委員会

26日、E旅チャレンジ、ボールパークでテイクアウトチャレンジ

マラナニでライブ、サカサカオープニングイベント

27日、平米、定塚小学校閉校式、サカサカ街歩き

28日、今後の日程の打ち合わせ

29日、会派説明、色付けのワークショップ

 

 

 

 

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