富山市に「盛田昭夫文庫」、来訪を
先日訪れた富山市立図書館で驚いたのは、ソニー創業者、盛田昭夫さんのコーナーです。
遺族から寄贈された盛田昭夫さんの蔵書500冊が展示されていたのです、
本人による書き込みや付箋もあります。
富山市と盛田昭夫さんは、直接的には
接点はないようです。
図書館の関係者によれば、
遺族が富山のことを気に入り、
寄贈したそうです。
富山市ガラス美術館と併設する図書館の建物が完成した翌2016年のことです。
もちろん、本人が書いた本もありますが、
当時、会長室にあった本です。
ざっと見る限り、日米関係、経済、経営などの本だけでなく、
自然科学、教育など分野は多岐にわたります。
経済人としては傑出した論客ですが、
それは、勉強のたまものなのです。
鉛筆で傍線を引いたり、
批評を書き残したりしています。
戦後ニッポンの巨人の
思想の原点がわかるのです。
これらの本は、富山県民、いや全国の人に、読んでもらいたいですね。
経済記者30年をやった経験から、いまこそ第二・第三の盛田昭夫が
生まれて欲しいからです。
自信喪失しているニッポンに必要なのは盛田スピリッツです。
盛田さんと言えば、井深大さんと一緒に戦後間もない、1946年にソニーを創業。
人のやらないことをやる精神で、
トランジスタラジオを皮切りに次々に製品を開発。
終戦で焼け野原になった日本が
立ち上がるきっかけをつくったのは、盛田さんです。
どんどんアメリカに製品を輸出。
「安かろう、悪かろう」の日本製品のイメージを一新したのです
とりわけ「ウォークマン」は、
世界の人々のライフスタイルを一新したのです。
歩きながら音楽を聴くようになったのです。
私は盛田さんを直接取材したことはありません。
ただ、ニューヨーク赴任中、最も誇らしい日本人でした。
私は1998年から2001年まで時事通信のニューヨーク特派員として
赴任していましが、当時、ニューヨークのマンハッタンに
ソニービルがありました。
37階建ての超高層ビル。
君臨していたのです。度肝を抜かれました。
ソニー製品は、
多くのアメリカ人にとって憧れでした。
「カッコいい」というイメージだったのです。
そして、私が驚いたのは、多くのアメリカ人の認識です。
ソニーについて
日本企業だと知らず、アメリカ企業だと思い込んでいました。
それほど、アメリカに溶け込んでいたのです。
盛田さんは1999年10月3日死去。翌日付のニューヨーク・タイムズが1面に報じました。
追悼記事は1ページ半ぐらいでした。
国家元首でもない、民間の外国人の死去が
これほど大きな記事になったことは、前例がないことでした。
さらに私が驚嘆したのは、その2日後のアップルの記者会見。
アップルのスティーブ・ジョブズが盛田昭夫さんの写真を背にして、
新商品の記者会見を行っていました。
ソニーからいかに影響を受けたかを語り、
「今回の新製品が天国にいる盛田を喜ばせたい」。
その後のiPhoneの開発などにつながります。
盛田さんあってのジョブズなのです。
それにしても盛田さんの遺族の心を鷲掴みにした富山市。
すごいなと思います。
商都「高岡」の市民としては、
羨ましい想いもありますが、
第二・第三の盛田昭夫を高岡から輩出されれば、と
思っています。
そのため、まずは「盛田昭夫」文庫を覗いてほしいですね。