私の政治の原点「利他の精神」①
私は故郷、高岡市に戻って政治家になりましたが、そのきっかけをつくった人物がいます。土光敏夫です。
土光と言えば、「メザシの土光さん」と知られ、行財税改革の旗を振りました。国鉄民営化などが実現したのも、第二臨調会長としての土光の手腕が大きく影響しました。
私は土光敏夫については生前お会いしたことはありませんが、数々の文献を読み込み、数多くの人を取材。その結果、「清貧と復興 土光敏夫100の言葉」(文藝春秋)を出版しました。戦後最も尊敬された経営者だったのです。企業業績を回復させただけでなく、その生き方に、多くの日本人が痺れたのです。私は、土光敏夫の考え方、生き方には熟知していると自負しています。土光だからこそ、さまざまな抵抗勢力を抑え込めたのです。
土光の生き方は一言でいえば「利他の心」。利他の心とは、他人の利益を重んじ、自己をささげる心構えのことを言います。もともとは仏教用語で、京セラの創業者、稲森和夫も提唱しています。稲盛曰く、「利他の心で判断すると『人によかれ』という心ですから、まわりの人みんなが協力してくれます。また視野も広くなるので、正しい判断ができるのです」。
私は高岡市でも、「利他の心」が大事であり、それこそが改革の原動力になると、考えます。
そこで、土光敏夫について、改めて、振り返ります。
「メザシの土光さん」と称されるきっかけとなったテレビ番組があります。1982年7月23日放映された、NHK特集「85歳の執念―行革の顔・土光敏夫」です。
質素な生活をしながら、行革を訴える姿勢をアピールするのが趣旨でしたが、最もインパクトがあったのは、VTRの最後の部分です。夫人と2人で食べる夕食の献立は、メザシと野菜の田舎煮、それに汁物と御飯だったのです。メザシを食べている土光の顔が大きく映し出されました。夫人とのつつましい生活を映像でとらえ、大反響となった。夕食のほかにも、読経のシーン、さらには50年間使っているブラシや、農作業着に使うため、拾ってきた土光の帽子などが紹介されました。
世間では一気に「メザシの土光さん」というイメージが広がったのです。質素な生活です。財界人と言えば、料亭や高級レストラン通い。そんなイメージを払しょくし、大胆な行政改革を実施できるのではないか。そんな期待感が出たのです。
土光は「個人は質素に社会は豊かに」という言葉を訴えていますが、まさに、自らは質素な生活を続ける一方で、豊かな社会を夢見たのです。それが、行財政改革だったのです。土光の生き方を追って、私はリーダー次第で、さまざま改革が実現できると、確信したのです。それが故郷に戻った理由になっています。