被災工場の復旧にも土光イズム
「メザシの土光さん」、土光敏夫を調べ、共鳴したのは「現場主義」と「人間尊重」です。
それがリーダーにとって最も大切なことです。このことが、その後の私の職業人生、
さらには現在の政治家としての考え方の土台になっています。
東日本大震災は土光が死去してから23年後に起きました。
ところが、この土光イズムは、震災の復興にも大いに役立っていました。
私は2011年春、その現場を見るため、福島県相馬市を訪れました。
土光はかつて石川島の社長でした。今でいうIHI(旧石川島播磨工場)です。
その相馬工場は民間の航空機のエンジン部分などを製造している世界的な工場ですが、被災しました。
この工場は福島第一原発から50キロほどしか離れていません。
当初は復旧まで「1年かかる」と言われていましたが、現場の執念でわずか2カ月のスピード復旧だったのです。