青木幹雄さんに学ぶ「政治家」という仕事

「参院のドン」青木幹雄さんの訃報に驚きました。残念です。

私の亡妻が青木家と親戚ということもあり、

家族ぐるみのお付き合いをさせていただいていました。

先月も幹雄さんの長男で、参議院議員の一彦さんとお会いしました。

「幹雄さんと森元総理は今もよくあっているのですか」と聞くと、

一彦さんは「私が先日、森さんと会いました。おやじと森さんが会うと目立つからね」と

答えていました。

「90歳近くなのに元気ですね」と私が言うと、一彦さんも頷いていました。

青木幹雄さんは早稲田大学雄弁会で、森元総理の先輩でした。

 

私が青木幹雄さんに初めてお会いしたのは、1991年でした。

時事通信社の記者として松江支局に赴任していたころです。妻との結婚の報告に行ったのです。

第一印象は腰の低い謙虚な人でした。

人の話をよく聞く方だなと思いました。

 

青木さんは参議院議員1期目で、当時はまだ、竹下元総理の元秘書として知られていました。

地元では「竹下登さんからもらった、竹下のネーム入りのスーツを着ていた」という情報も流れ、

竹下さんにほれ込んでいるようでした。

 

私が東京に戻ってから、しばしば、家族で青木さんの参議院の議員宿舎に誘われました。

食事をしながら、いろいろなことを教えていただきました。

森さんとの大学時代の思い出話から始まりましたが、

最も強調していたのは、大蔵省との関係です。

 

「大蔵省とうち(竹下派)はいい関係だわね。竹下さんと私が命がけで消費税を導入したんだから。

大蔵省の官僚はいろいろな情報を教えくれる」。

 

消費税導入は大蔵省の悲願でしたが、

大平内閣、中曽根内閣でも導入できませんでした。

 

青木さんは、竹下元総理を支え、大蔵省と連携して、

1988年12月に消費税関連法案が成立したのです。

当時参議院議員になって2年しかたっていません。

恐るべき偉業ですね。

 

青木さんは「政局の人」と言われていますが、「政策の人」でもありました。

消費税導入という政治家にとって最も困難な課題に、立ち向かったのです。

あの時、竹下・青木コンビがいなかったら、

消費税導入はさらに遅れていたでしょう。

 

青木幹雄さんが参院幹事長、会長、さらには官房長官となりました。

いつしか、「参院のドン」という異名を持つようになったのです。

ただ、ご本人は偉ぶらず、謙虚そのものです。

 

青木さんは、竹下元総理の言葉として、

「汗は自分でかきましょう。手柄は人に与えましょう」とよく言っていましたが、

その言葉通りの人生でした。

 

青木さんから学びました。

困難なことに立ち向かうことこそが

政治なんです。

私も政治家の端くれとして、青木幹雄さんの教えを学んで精進します。