「個人は質素に社会は豊かに」

秋の叙勲のシーズンです。私にとって印象深いのは、昭和61年11月5日の授与式です。

行政改革の旗振り役だった土光敏夫に、民間人として初めて勲一等旭日桐花大綬章を生前に授与されることになったのです。

テレビ朝日の残っていた映像を見て心打たれました。

「メザシの土光さん」と知られていた90歳の土光は、皇居宮殿の正殿に現われました。

式部官に車椅子を押されていた。ところが勲章を渡そうとする昭和天皇を前に、土光は車椅子から何度か立ち上がろうとします。

おそらく昭和天皇に対して、自分が車椅子に座ったままでいることを失礼だと思っていたのでしょう。

前月に頭部の手術を受けるなど、土光の体は既に立つことすらままならない状態だったのに、必死な様子が浮かび上がります。

この叙勲に関して、土光は次のようなコメントを残しています。

「私は『個人は質素に、社会は豊かに』という母の教えを忠実に守り、これこそが行革の基本理念であると信じて、微力を捧げて参りました。幸い国民の皆様の理解と協力を得られ、私の役目をつつがなく了えることができました。今回の受章を国民の皆様と共に心から喜びたいと思います。……(以下省略)」

土光と言えば、東芝など巨大企業を立て直し、晩年は、国鉄民営化などに汗を流した戦後最も大きな成果を出した改革者です。

質素な生活を貫き、社長になっても満員電車で通勤。月給は10万円ほどでした。

土光は「個人は質素に、社会は豊かに」という母の教えに従って生きてきたのです。

私も、政治家になったからには、「個人は質素に、社会は豊かに」という精神で仕事をしたいと思っています。

 

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