「株式会社 神戸市」の立役者を思う

 

神戸市を視察で訪れました。神戸港湾事務所の方の案内で、船から、人工島のポートアイランドを見ました。

山を削った土砂で埋め立てた島ですが、巨大ですね。

ポートアイランドには、住宅や工場を誘致しているとのことです。

また、削った山は住宅地にしました。

ポートアイランドという巨大プロジェクト、

神戸市が行ったわけです。1970年代、80年代、日本の高度成長まっしぐらの時に、

神戸市はポートアイランドなどの事業が高く評価され、「株式会社 神戸市」と言われていました。

私は、ポートアイランドを見ながら、ある人物を思い出しました。

松江市長だった宮岡寿雄さんです。私は松江支局に赴任している際、宮岡さんは、

取材相手であり、スポーツクラブの仲間でもありました。

宮岡さんは180センチは優に超え、体格が大きかったことから、

プールで泳いでいると、波ができたほどでした。

私はひそかに「クジラの宮岡市長」と名付けていました。

宮岡さんは平成5年に松江市長選で初当選しました。

相手は2期目を目指す現職でしたが、破りました。

宮岡さんは島根県出身で、大学を卒業後に、神戸市役所に入りました。、

市役所で上り詰めて、最終ポストは神戸市の助役でした。

宮岡さんは華々しい経歴の人でした。

「株式会社 神戸市」の立役者。

冒頭のポートアイランドで開催した博覧会を大成功させました。

宮岡さんは助役として、9年間にわたり、采配を振るったのです。

そして、満を持して、平成元年に神戸市長選に出馬しました。

ところが、落選しました。

その後、宮岡さんは松江市長になったわけですが、

松江市でも辣腕を発揮しました。

松江城の堀や川を巡回する遊覧船を導入しました。

「水都」松江市の魅力をアピールし、観光の目玉となったのです。

また、観光地の巡回パスなども実現しました

宮岡さんは神戸市では、市長になれなかったのですが、

松江市では市長として、矢継ぎ早に政策を実行したのです。

当時は、同じ島根県に岩国哲人出雲市長がいたため、

宮岡さんはあまり目立ちませんでしたが、数多くの実績を残した市長でした。

 

Previous article

「富山県100万人割れ目前」

Next article

「会計年度独立の原則」 ナゼ