禅の心と高岡再興
私は東京にいたころ、しばしば座禅を組んでいました。
谷中にある全生庵です。
そこは、高岡の国泰寺の末寺。
中曽根康弘、安倍晋三、石破茂など数多くの政治家、さらには官僚や企業経営者が
座禅をしています。
なぜ座禅をするのか。それは、大きな決断を下す際、
どんな人も迷います。座禅で雑念を振り払い、心を整えるためです。
この全生庵の住職は平井正修さんですが、その父親は平井玄恭(げんきょう)さん。
高岡にも頻繁に来ていました。
玄恭さんの師匠は、静岡の龍沢寺の住職だった山本玄峰老師でした。
玄峰老師は、東京に来ると、全生庵を拠点にしていました。
戦前、戦後、政財界に絶大な影響力のあった人物です。
この玄峰老師、全生庵通じて、高岡の国泰寺とも間接的に関係があるのです。
まずは玉音放送です。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」です。
この言葉、玄峰老師の手紙が発端だと言われています。
さらに、私が注目しているのは、こんなエピソードです。
日本国憲法に「象徴天皇制」が盛り込まれるようにしたのも、
玄峰老師と言われています。
幣原内閣の内閣書記官長、今でいえば官房長長官だった楢橋渡さんが文章を残しています。
それによれば、象徴天皇制を進言したのは、玄峰老師です。
楢橋さんの文章をベースに再構成してみましょう。
―楢橋さんは、昭和二一年正月ごろ、GHQ民政局のホイットニー局長、ケージス大佐、ハッセー大佐らと天皇について
どのような地位にするか相談した。場所は、人目につかないよう明治の元勲、伊藤博文の別荘、大磯の滄浪閣だ。
GHQ民政局との協議では、天皇退位を求める声が出ていました。
日本人は天皇を神さまだと思い、「天皇陛下万歳」と叫んで平気で死んでいく。
八紘一宇といいながら、世界を侵略する。それらの原因はすべて天皇にある。
天皇を退位させて民主主義を実現しないと、日本は平和国家として世界から受け入れられる態勢が整わない。
極東委員会の中で、ソ連などの強硬派から、天皇退位を求める声が出ているという。
それに対し、楢橋は強硬に反対。そこでGHQに対し、「天皇については四-五日待ってくれませんか」とお願いした。
そこで、頼ったのは、山本玄峰老師です。
新潟にいた玄峰老師は、「天皇は政治から超然として空に輝く太陽のような存在になるべきだ。
政治家はその天皇の御心を受けて慎みながら政治をすべきだ。そうすれば、天皇がいても、
立派な民主主義国家になるのではないか。天皇は空に輝く象徴みたいなものだ」。
楢橋は、この言葉に感動し、GHQに出向いた。
「天皇は民族の象徴、主権は在民。天皇は一切、政治に関与しない。天皇は日本民族全体を象徴しているので、
政治家は天皇のお気持ちを受けているという形態がいい」。
そのアイデアが、GHQ側に通じたのです。
総司令部が作った新憲法に「天皇は民族の象徴」という文句が生まれたきっかけになったといいます。
ぎりぎりの判断でした。連合国の中には「退位させるべき」という声が渦巻いていました。
アメリカの世論も天皇には厳しかったのです。
ギャラップ社の調査では、アメリカ人の中では、
昭和天皇について80%近くが処罰などを要求していたのです。
玄峰老師に関しては、ほかにもいろいろエピソードがあります。
日本の近現代史の中で、玄峰老師の存在感は際立っています。
私は、こうした歴史を学び、改めて「禅の心」に関心を抱きました。
今の日本の繁栄と安定は、禅の精神も寄与しているのです。
高岡にも禅の心は息づいています。
禅の精神で、高岡を再興したいと思います。