高岡と報ステで見た「民生委員」

こんにちは。

本来、きのうから行政視察の予定でしたが、

コロナ急増を受けて、中止となりました。

残念ですね。

きのうは、定塚地区民生委員推薦準備会に行きました。

僕もそのメンバーです。

長ったらしい名前ですが、つまるところ、定塚地区として、任期3年の民生委員委員に誰を推薦するか。

それを話し合う会合です。

民生委員とは、非常勤の地方公務員です。民生委員法に基づいて厚生労働大臣から委嘱され、活動費が支給されます。

具体的な業務としては、一人暮らしの高齢者の見守りや安否確認などをします。夏場なら、熱中症予防の注意喚起なども行います。

また、全ての民生委員は児童福祉法によって「児童委員」も兼ねています。

妊娠中の心配ごとや子育ての不安に関する様々な相談や支援を行っています。

問題があったら行政へ報告します。

 

地域住民と行政のつなぎ手という役割なのですが、

今、高岡市でも民生委員のなり手が減っているそうです。

 

私がこの民生委員という仕事に関心を持ったのは

報道ステーションのデスクをやっていたころでした。

東日本大震災、熊本大地震、西日本豪雨など

数多くの災害報道を本社から指揮していました。

その時、現場取材に行く部下に指示を出していたのは、被災者に寄り添った目線の

取材でした。

つまり、倒壊した建物やひっくり返った自動車など

表面に見える映像だけではダメだ。

被災すればどれほど人々の日常が大きな打撃を受けるか。

顔の見える取材が大事だと訴えたのです。

実際に被災すれば、どうなるのか。

視聴者に映像を通して、共感してもらいたいと思ったのです。

時には、自宅で避難生活を送る民生委員の方の同行取材なども

指示を出しました。

その時、民生委員の方々が、自らも被災しながらも、高齢者宅などを訪れているのです。

その姿に感動しました。尊い仕事をやっていただいているな、というのが実感でした。

 

この民生委員制度は1917年にできましたが、

全国に普及するきっかけとなったのは翌1918年に大阪でできた「方面委員制度」です。

この年に、富山の米騒動が勃発。

大阪をはじめ全国に飛び火し、住民の生活が苦しくなったのです。

それ以来、方面委員制度は全国に広まったのです。

ちなみに方面というのは地域を指します。

 

民生委員制度は長い歴史を持ち、多くの人々を救ってきました。

素晴らしい制度ですね。今後も民生委員制度は続くように、

一議員としても、力を注ぎたいと思います。

 

7月14日、黒部のパッシブタウン視察、後援会の打ち合わせ

15日、後援会準備、動画撮影、高岡ライオンズ、会派説明、市役所の職員と打ち合わせ、岩坪工業団地での納涼祭

16日、原稿執筆など

17日、ラジオ体操、六渡寺海岸清掃、江尻でコンサート

18日、市職員と打ち合わせ、くらうんで市民講座

19日、定塚地区民生委員推薦準備会、子ども宅食で打ち合わせ、

20日、日帰り東京、定塚校下の懇親会