人気ラーメン店と「猿払村の奇跡」
高岡に戻って1年半ほど経ちます。
いろんな人と出会いましたが、
その中でも強烈な印象の方が高岡の人気ラーメン店「翔龍」の店主、浅野昭次さん(69)です。
「10年ぶりに故郷に戻って墓参りしました」。
私に笑顔で語ってくれました。
浅野さんは北海道の猿払村出身です。
猿払村と言えば、北海道の北端、稚内に隣接する村です。
高岡出身の奥さんと出会い、移住。高岡でラーメン店を経営して30年以上経ちます。
「子どものころは本当に、村は貧乏だったのです。周囲からは『貧乏村』と言われていました。
しかし、今は違います。村全体が潤っています」。
浅野さんの言葉をきっかけに、
猿払村について調べました。
猿払村はもともとホタテ水揚げ日本1だったのですが、
1960年代には乱獲で、水産資源が枯渇したのです。
「貧乏見たけりゃ猿払へ」と揶揄されました。
ちょうど、浅野さんが10代ぐらいのときです。
漁師を辞める人が続々と出てきたといいます。浅野さんのお父さんも
漁業を辞め、旭川に行きました。
ところが、この状況を打開したのは、漁協の組合長の
太田金一さんでした。
1971年日本初のホタテ稚貝の大規模放流事業を計画したのです。
ホタテの稚貝を購入し、海中で育て、
5センチほどの小さな貝に成長したところで海に放流。
4-5年後、10センチほどに成長したホタテを獲るという方法です。
つまり、ホタテを「獲る」から「育てる」に大きく舵を切ったのです。
この放流事業には多額のお金が必要です。
しかも、成果が出るには時間がかかります。
リスクいっぱいです。
太田組合長は必死に、関係者を説得しました。
また、漁業組合だけではお金を賄えません。
当時の村長、笠井勝雄さんも「猿払村の再生はホタテでやるしかない」と
考え、大きな決断を下します。税収の半分近くを
稚貝の放流事業に投じたのです。また、村の住民からもお金を出してもらいました。
組合長と村長の決断と実行が村全体を動かしたのです。
その成果は出ています。全国の自治体の所得ランキングで2017年、猿払村は3位。
東京都の港区、千代田区に次いでいるのです。また、東京都渋谷区や兵庫県芦屋市を押さえての3位です。
今も上位を維持しています。
ところで、浅野さんが経営する高岡市の野村のラーメン店「翔龍」ですが、
私は初めて行ったとき、驚きました。
グレー色を基調にしたおしゃれな巨大な店舗。
夜の11時ごろなのに、多くの人でにぎわっていました。
若いカップルがデートでラーメンをすすっているのです。
都会的なラーメン店。しかも、名物のブラックラーメンの味も抜群でした。
浅野さんは、奥さんが高岡で、30年以上にわたって高岡でラーメン店を営んでいます。
ただ、この巨大なラーメン店を出す決断。どこか猿払村の復活と似通っているような気がします。
猿払村出身者、いわば”よそ者”が高岡の人々を魅了しているのです。