Profile

プロフィール

出町 ゆずる

でまち ゆずる

1964年富山県高岡市生まれ。
成美小、志貴野中、高岡高、早稲田大学政経学部卒業。

時事通信社NY特派員などを経て、テレビ朝日入社。経済部、報道ステーションなど担当。一方で、「作家」としての活動もスタート。

2021年、高岡市にて政治活動を開始し、25年「市民いちばん」「住みたいまち・高岡」を掲げ、市長当選。

  • 21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷
  • 同年7月 高岡市長選に出馬、落選
  • 同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、同年11月 新会派「高岡愛」を結成
  • 25年5月 高岡市議会議員を辞職
  • 同年6月 高岡市長選に再出馬、当選

学生時代


 1964年10月19日、高岡市京町生まれました。成美小学校、志貴野中学校を卒業後、高岡高校に入学しました。中3で大手町に引っ越しました。
 せっかく入った高校なのに、勉強そっちのけ。生徒会長、ラグビー部、応援団と、勉強以外のことばかりに熱中しました。
 1年浪人して、進学したのは、早稲田大学政経学部政治学科です。大学生活では、ラグビーのサークルに身を置きながら、もっぱら関心事は世界でした。作家、沢木耕太郎の「深夜特急」に憧れ、一人で放浪の旅に出たのです。3カ月かけてインドからギリシャまでバスや列車の陸路で旅行したり、中国大陸を1カ月以上旅したりしました。その時はちょうどバブル期です。戦争や貧困、差別の問題などを必死に考えました。そして、就職先としては、マスコミを志望しました。

報道記者


 時事通信社で念願の記者になりました。元々、社会部記者を目指していましたが、配属先は経済部です。駆け出し記者のころ、食品業界担当となり、ビール業界を取材しました。当時は、アサヒビールのスーパードライが発売されて間もない頃です。アサヒが躍進していました。社長は樋口廣太郎さんでした。「前例がない。だからやる」と述べ、社内風土を次々に改革なさっていました。
 私が改革、変革を訴え続けているのは、樋口さんの教えがあるからです。その後、松江支局では、地方自治の動きを取材。その時、地方自治を学びました。東京に戻ってから、地方同期の中では最も早く、海外に赴任。ニューヨーク特派員として、日米関係などを取材しました。
 2001年に帰国後、テレビ朝日に転職しました。内閣府、日銀、財務省、自民党などを取材。当時の人脈は今も生きています。また、夜の番組「報道ステーション」では番組の責任者に。古舘伊知郎さんの知恵袋として、番組を仕切る一方で、自らコメンテーターとして、番組に出演しました。その後、朝の番組「グッド!モーニング」では、池上彰さんの解説の台本を書きました。「難しいテーマをわかりやすく」というモットーは池上さんから学びました。

作家として


 2011年の東日本大震災をきっかけに、作家デビューしました。当時、日本では、悲観的なムードが漂っていました。政権交代はしたのですが、民主党政権に対する失望感が高まっていました。そんなさ中、東日本大震災。「日本人よ、もっと自信を持とう」。そんな思いで書き上げたのは、「清貧と復興 土光敏夫100の言葉」(文藝春秋)です。ベストセラーになりました。
 その後も、「九転十起 事業の鬼 浅野総一郎」(幻冬舎)など、富山県出身の経済人の本を次々に出しました。
テレビ局員と作家の二刀流をしていたのですが、2015年に北日本新聞から地方創生に関するコラムの連載依頼がありました。そして、「出町譲現場発!ジャーナリストが見た地方創生」を3年ほど連載しました。この連載で、地方行政の動きを改めて勉強しました。

政治家へ


 2017年11月驚くことが起きました。北日本新聞のスクープで、高岡市の40億円の財源不足が発覚したのです。7月に市長選があり、10月に市議会議員選挙があったばかりです。このふたつの選挙で、財源不足の話は一切出ていません。「馴れ合い・しがらみ」の政治が原因です。
 どうしてこんな市になってしまったのだと憤りました。だからこそ必ずや高岡に戻り、高岡を再生させたいと思いました。
 そのためには、知識が必要だと思って、全国の地方創生の現場を取材しました。そうすると、見えてきたのは、リーダーの重要性です。リーダーが「馴れ合い・しがらみ」の政治を行って、財政破たんに陥ったところもあります。
 一方、人口減少という危機にありながらも、再生した「奇跡の現場」も取材しました。リーダーは反対意見があっても、改革を成し遂げたのです。
 私はまちづくりに関して、失敗と成功を数多く見てきました。こうした経験を生まれ故郷、高岡のために役立てたいと思いました。長い間外にいたからこそ、沈滞ムードの高岡市を一新させる役割があると信じています。

高岡と未来へ


 今は、母と2人で住んでいます。「家族はいないのか」と聞かれますが、家族はいます。31歳の長男、29歳の二男はともに東京で、仕事をしています。長男は結婚しています。
 妻は2020年9月にがんで他界しました。4歳年上の妻は私にとって最大の理解者であり、友人でした。今の私があるのは、妻のおかげだと思っています。
私が28歳の時に、島根県で妻と知り合いました。妻は地元テレビ局のアナウンサーで、島根県で最も有名な女性でした。しかし、私が東京に転勤すると、妻はあっさり仕事を辞め、ついてきてくれました。私がほぼ家を空けて、仕事ばかりしていましたが、妻は子育てをすべて仕切っていました。長男、次男がちゃんと大学を卒業し、就職できたのも妻のおかげです。
 しかし、そんな我が家のリーダー、妻は2020年春に末期がんで余命宣告を受けました。
 私はテレワーク。長男は介護休業をとり、次男は、勤務していたシンガポールの会社を辞め、男3人で妻を自宅で介護。この年の9月19日に自宅で看取りました。
 28歳で妻と知り合い、28年間結婚生活を送りました。東京、島根、ニューヨーク。仕事も、子育ても、全力投球しました。本当に楽しい時間でした。感謝しております。個人の出町ゆずるの生活は、高岡に戻った段階で終わりました。
 後は世のため、人のためです。私は残りの人生を高岡のために尽くします。